阪神淡路大震災から、26年くらい経ったと思います。さすがに風化しつつあるのかもしれませんが、私はそこそこ揺れの強かった地域に住んでいたので、まだあの続きという実感があります。
朝方、ドン!と下から突き上げられるような強い衝撃で目が冷めて、ほどなく、ぐわんぐわんと大きく左右に揺れ始めました。最初に縦揺れがきて、それから速度の遅い横揺れが・・・というような、理科の授業そのままの揺れだったことを鮮明に覚えています。
家族の無事を確認して、避難しました。避難の中、当時読んでいた本の影響で「この瞬間のことを記憶にとどめておかなければいけない」と思ったことは覚えているのですが、残念ながらほとんどのことを忘れてしまいました。「制服だけは持って行きたい」と言い、母に「あほか」と言われたことくらいで。
幸い、家族は皆無事でした。祖父は、全壊した家屋の下敷きになったのですが、愛犬が守ってくれていて、命は助かりました。その後すぐ、愛犬は亡くなりました。
学校が再開する頃も自宅には戻れず、日々足りないもののことを嘆いていました。水も不足していたので、「洗い流さないシャンプー」を試してみたものの、余計に汚れた気がして半泣きでした。ませた女子は、自分の日常で必死だったんですよね。昔から、想像力が欠如しています。
東日本大震災のときは、育児休暇中でした。友人に遊びにきてもらって自宅でまったりしていたとき、「ん?揺れた?」と話すくらいには、揺れを感じました。阪神淡路大震災以降、揺れに敏感になって、少しの揺れがとても怖いです。その後ニュースで大変な状況を知りました。
今はコロナで大変なことになっていますが、無事に家族で過ごせていることに感謝したいです。子供の成績が安定しないとか、軽い悩みだなって思います。また明日から頑張ります!